あなぶき興産

周辺環境

毛利町3丁目。都心の一画に護られてきた静域がある。

JR徳山駅へ約1.0km。
市街地のほぼ中心に位置し、都心の利便性に恵まれた毛利町。
江戸時代から徳山毛利藩の御屋敷が置かれ、その後も邸宅街としてあり続けるこの地には、
悠々たる歴史が育んできた穏やかな空気感が漂っている。
周辺には徳山小学校や幾つかの庁舎が存在し、
また静かに歳月を重ねる邸宅が並ぶ。

古地図

毛利徳山藩御家中屋敷イメージイラスト

江戸時代、毛利氏の藩庁が置かれ
地域の要所として発展した徳山。

徳山藩毛利館邸

江戸時代になり毛利輝元は長門・周防2ヵ国36万9,000余石を領する西国の大藩として萩に居城を構えた。徳山藩は、元和3年(1617)に毛利輝元の次男就隆(なりたか)が、輝元の跡を継いだ長男秀就から3万石余りを分知されたことに始まる。後に4万5,000石に加増され、当初は下松に館邸が設けられたが、慶長3年(1650)海陸交通の要所であった野上村に館を移し、野上を改めて徳山と称した。藩庁が置かれた徳山陣屋(徳山城)は、飯野陣屋(千葉県富津市)、敦賀陣屋(福井県敦賀市)とともに日本三大陣屋の一つに数えられる。徳山藩初代藩主となった就隆は、殖産興業や新田開発に努め、特に三白政策と呼ばれる米・塩・紙の生産に力を注いだ。その後徳山藩は、改易・再興を経て明治4年(1871)に山口藩に合併するまで、9代およそ220年に渡り城下町として繁栄を続け現在の礎を築いた。

城下町の面影が色濃く残され、
官庁・文教地区としての歴史を刻む。

徳山藩学館跡

初代藩主であった毛利就隆は、徳山陣屋(徳山城)の跡にある祐綏神社に祭神として祀られている。天明5年(1785)には7代藩主就馴の時代には萩の「明倫館」に遅れること約半世紀、徳山、清末、長府、岩国の4支藩の中では最も早く藩校「鳴鳳館」を開設。その校名は詩経の一節「鳳凰は鳴く、彼の高き岡に。梧桐は生ず、彼の朝の陽に。菶々萋々、雝々喈々と」に由来すると伝えられている。「鳴鳳館」は天保2年(1831)に桜馬場、現在の徳山小学校の位置に移転、嘉永5年(1852)に「興譲館」と改称された。また、毛利町をはじめとするこの周辺は城下町時代の区割りが残されており、徳山藩館邸跡に建つ山口市文化会館官庁や周南市役所、山口県周南総合庁舎、徳山高校、中央図書館、裁判所など多くの主要施設が設置され、時を超えて地域の中心としてその役割を継承している。

※出典・参考/「周南市の歴史を訪ねて」、「山口県史」、財団法人周南市ふるさと振興財団発行「徳山の歴史探訪MAP」

穴吹興産株式会社

「アルファガーデン毛利町」
プロジェクトリーダー

富永 信之

此の地で、最も豊かな邸宅を目指して。

全国で分譲マンションを開発・供給してきた我々ですが、この「徳山・周南」エリアは最重要エリアのひとつです。
そんな我々が深く思いを寄せるこの地に置いて、
あなぶき興産が誇る最高峰ブランド「アルファガーデン」の開発は大きな喜びです。
歴史と文化、賑わいが交差する毛利町の中でも、東南に配棟できる稀少な敷地を得ることができ、
住まう方の豊かな人生を称えるに相応しいプランニングを集結させています。
広島・山口・九州エリア初登場となる、
あなぶき興産最高峰ブランド「アルファガーデン毛利町」にご期待ください。

アルファガーデン毛利町

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